50代、おばちゃん福祉職員の雑記帳

福祉の仕事に携わってまだ3年、面白いこと難しいこと、まだまだいっぱいです。

「毒親」中野信子を読んで

暑い日が続いていますね。

最近ところてんにはまってます。

ところてんってこんなにおいしかったっけ?ってびっくりするぐらい。

こんなに暑いとついついダラダラとタブレットばかり見てしまいますが、長時間見続けると脳疲労してしまうので、読書に切り替えました。

 

脳科学者の中野信子さんの本が好きなので、三冊ほど購入してみました。

「生贄探し」

「ペルソナ」

毒親

どの本もとても興味深い内容でしたが、特に「毒親」は参考になりました。

 

この本は、親に恨みや憎しみを抱きながら決して口には出せず、そういう黒い感情を持つことを無意識に禁じ、自分自身を責めて生きづらさを感じてきた人々への救いになるものではないかと思います。

もちろん、それはわたしにも当てはまりました。

 

「はじめに」のところに、共感できる一節がありました。

 

子どもの頃に感じた、ただやさしくしてほしかった…モノのように扱わないでほしかった…、ばかにしないでほしかった…、親のエゴのために自分を利用しないでほしかった…、そして、もっと愛してほしかった…、そんな気持ちが大人になってからも、普段は記憶にのぼることがなくても、ふとした瞬間に湧き上がってきてしまうことがあるだろうと思います。

 

私の両親は不仲で、お互いへの不満や悪口を私に聞かせ同意を求め味方に付けようとする人々でした。それでいて両親ふたりでいるときは、私のことを「なんであんなに浅はかで、落ち着きがない子なんだろう」とお互いのしつけの悪さなど罵り合っていました。

なので、人間とは裏腹な信用できないものだというふうに幼少期に学んでしまい、人間関係を維持しようとするとき、迎合するか敵対攻撃するか極端になってしまい、自分が子をもって親になってから苦労するはめになりました。

 

自分が子育てするようになって、先の文章のような感情がはっきりしました。

 

守られた記憶がないので守り方が分からない。大切にされたこともないので大切にするやり方が分からない。愛されたこともないので、愛し方も分からない。

すべてが手探りでした。

親に感謝しなければならない、分別ある大人は親孝行しなければならないのだと、世間一般の常識に合わせて、もっともっと頑張って愛されるに値する人にならねばならないと思ってきました。

家族という形を整えたくても、うまくいかない。

やはり、毒親に育てられた人はどうやったって健全な家庭は築けないのかもしれない。

半ばあきらめて、誰にも看取られず一人で死んでいくのも覚悟しなければいけないなと感じていました。

 

しかし中野信子さんはこの本の中で「人間関係の基本である親子関係の型は、大人になってから、意識すれば変えることができる」と書いています。

 

一部抜粋しますと。

 

家族は仲良しでなければいけないというのは根強い考え方だけれども幻想だということです。ーーーーー

せっかく仲良し家族なのだから、問題点を掘り返してはいけないと思考にブレーキをかけてしまう。

 

やさしく柔らかな表現です。

これ、乱暴に言いますと、表向きだけ仲良しの仮面夫婦であったり、体裁だけ整えて実は会話のない空っぽで冷えきっている外面だけの家族だったりというパターンは意外と少なくないような気がするのですよね。それをやんわりと、そんなに取り繕う必要はないのですよ。幻想なのだから、と教えてくれています。

救われますね。

 

そして、毒親に育てられ脳を傷つけられてしまった人が、大人になってから自分を育て直すために必要なことを最後の章にまとめてあります。

 

人は死ぬまで成長し続けられる生き物だといいます。

まず、自分を大切にすることから始めてみよう、あきらめるのはまだ早いかもしれないから。

そう思える本です。

良かったらご一読ください。