神様はお金が欲しいとは思っていないんじゃないかな
そもそも、神様がいるのか分からないけれど。
神社にお参りに行くのは好きです。
願い事や心配事があるときは特に真剣に祈ります。
だいぶ前に読んだ本ですが、中野信子さんの「脳科学からみた祈り」という本に、祈ることでベーターエンドルフィン、ドーパミン、オキシトシンが分泌され、多幸感をもたらし、脳が活性化され免疫力が上がるということが書いてありました。
それ以来、就寝時に大切な人々の顔を思い浮かべながら明日も健康で無事に生き延びられますようにと祈って眠ります。常に快眠というわけではないけれど、そう悪くはありません。
また、失敗したときや、怖い思いをしたときなんかは相当緊迫して、
「ひゃー!神様!たすけてーー!」
と胸の内で叫んだりもします。
つまり、自分ではない何かに縋り手を合わせることで心の安定を試みるということは、意識せずに日常のなかで自然にやっています。
信心する方には
「都合のいい時だけ頼るな。けしからん!」
と叱られるかもしれないけれど。
まず、献金の金額にビックリしました。
被害者の多さや被害金額の大きさ。
どうして今まで報道されてこなかったのでしょう。
背景を知るうちに山上容疑者が気の毒になりました。
だからといって、人を殺めてはいけません。
それは当然です。
しかし、山上容疑者のお母さんのことを想像すると胸が痛むのでした。
このお母さんは、子供たちが赤子の時から何か活動していたようですね。お父さんの自死のあたりに入信、死亡保険金を献金。そこからは転落の一途だったようですが…。
お母さん。
どうしてそこまで信心が必要だったのでしょう。
夫や息子が死んでも、自分だけ救われたかったのでしょうか。
とても疑問に思います。
私がもし一億円持っていたら、まず、家族の生活のためにお金を使い、後は将来のために貯めておくと思います。
あのお母さんが自分の持っているすべてを投げ捨て欲しかったものは何なんでしょう。
孤独や不安がそうさせてしまったのでしょうか。
ただ。
ひとつ。
神様はお金が欲しいとは思っていないんじゃないかな、というのが私の考えです。
大金を払えばあの世で幸福になれるよと言われても。
そんな幸福、私だったら、いりません。
被害にあわれる方が少しでも減っていくことを願うばかりです。
さて、今日も雨降りです。
お仕事の人も、そうでない人も、足元に気をつけていってらっしゃい。
私もいってきます!では(^^)/