JRさん、ありがとう!!
ちょうどその週は田舎に帰省していて17日((木)に埼玉に戻る予定だった。
東北自動車道も中央線に沿うように長くひび割れを起こし、その日終日主要交通網は遮断されていた。
仕方なく18日の仕事は欠勤の連絡を入れた。
この日、東北道を走る高速バスの何社か運行を始めたが、予約はすぐにいっぱいになり席を確保できない。朝から予約なしで乗れるバスに並び、なんとか仙台まではたどり着いた。ここまでの所要時間はすでに6時間。
その先はもう在来線(東北本線)を乗り継いで関東まで行くしかない。
那須塩原まで行ければ何とか今日中に戻れるに違いない。
とりあえず行けるところまで行こう。
改札には案内する駅員のお姉さんたちが絶え間なく続く乗客の問いに必死で答えている。60分遅れや70分以上遅れている状態では頭上の電光掲示板など意味がない。ほとんどの乗客が駅員さんに自分の行き先を告げてどのホームに行けばいいのかを聞く。大幅な遅延があることや、動いてはいるけれどあと何分後に発車できるのか分からないこと等の説明を朝からずっと繰り返しているであろう。
駅員さんたちの表情にも疲れがにじんでいた。
さらには、在来線の一部でも運休になっている箇所があることが事態を複雑にしているようだった。いつもと違うホームを乗降に使っているのか、回送車両やコンテナ車両を移動したりする光景も目にした。
福島、郡山、新白河、黒磯、そのつど別の電車に乗り換えだ。
各ホームに降りたら、とにかく急いで階段を駆け上がり、駆け降りる。
トランクが重い。
もう、しんどいったりゃありゃしない。
乗車して一息つく。
「運転士交代のためお待ちください」とアナウンスが耳に入った。
この乱れたダイヤの中で運転する緊張は並大抵ではないだろうなと、ふと思う。
福島のあたりで雨は雪になった。夕闇は凍るような寒風が、電車を待つ人々に容赦なく吹き付ける。若いお母さんが5歳くらいの女の子をぎゅっと抱きしめて温めていた。
いつ動くかも分からないから、ホームで待ち続けるしかないのだ。
郡山を出る電車はもう20時をとっくに回っていた。新白河に到着が21時40分ごろ、そこから終点の黒磯まで行き、宇都宮線に乗り換える。
最終の新幹線に乗れるかの瀬戸際。
那須塩原22時16分。もう間に合わない。
宇都宮で宿泊するしかないな。
そうあきらめていた。
ところが。
宇都宮に到着すると驚いたことに大宮行きの電車が待っていてくれているではないか!
乗客はドアが開くと一斉に走りだし、電車に駆け込む。
田舎じゃあるまいし、電車が電車待ちするなんて信じられなかった。
しかし、まあ、よくここまで来れた。
もうちょっとのところだったけど、運もここまで。
大宮が終点だもの。ホテル探さなきゃなあ。
そう思っていた。そんな23時50分。
大宮に到着すると、すべての電光掲示板の消えているなか、その先へ行く最後の電車が一本だけホームにいるではないか!
こうして私は、夜中の1時15分、全行程の所要時間17時間半かけて埼玉に戻ることができた。
新幹線を使っているときは気にとめたことはなかったけれど、公共交通機関のありがたみを痛感した。
JRの皆さんにありがとうと言いたい。
この混乱の中、ひとりでも多くの人を目的地まで送り届けてくれようとする、その姿勢に心打たれました。
本当にありがとう。