50代、おばちゃん福祉職員の雑記帳

福祉の仕事に携わってまだ3年、面白いこと難しいこと、まだまだいっぱいです。

「毒親」について

今日は久しぶりに晴れました。

仕事がお休みなので、今カレーを作っているところです。

玉ねぎが高いですねえ。

具の乏しさをごまかすために冷蔵庫にあったエリンギを入れました。

 

さて、煮込んでいる間ネットをみていると西原理恵子さんの娘さんの記事が載っていました。

お母さんからされてきた仕打ちを告白したもので、読んでいて痛ましく、どれだけくるしかったろうと不憫に思いました。

お母さんが有名人だったから特別な、とかいうことではなく。

自分が生き延びるためやストレスのはけ口に子供を利用する親はけっこう多いのではないかと思います。

以前は軽く扱われていた心理的虐待も、その重さが最近認識され始めてきました。

毒親」とか呼ばれたりするようです。

私自身も毒親育ちです。

幼いころ、母の笑った顔を見たことはありませんでした。

いつもヒステリックに泣いているか怒っているかどこかに行って家を不在にしているかでした。

「お父さんに堕ろせと言われたのをお母さんは命がけで生んだというのに、あなたはなんで言うことを聞かないの! 」

とか、

「あなたがいるから離婚しないのよ。あなたのために我慢しているのに」

というのが決まり文句でした。

幼いころ私は病弱でほとんど幼稚園にも行っていません。

毎日罵倒されていました。

母が不幸なのは私のせいだという思いが強烈に頭にありましたので、

「どうか、私をガンか白血病かなんかにして一日も早く死なせてください」

と毎晩神様に祈るものでした。

私の場合は、その後の成育歴のなかで良い先生や友人に出会うことができ、母が私を痛めつけなければ自分を保てなかったのだろうなということを客観的に理解できるようになりました。

しかし、頭でわかっていても心身に受けた影響は計り知れなく、もともとの遺伝子もあるのでしょうが、とても敏感で傷つきやすいまま成長しました。

情緒が未成熟であり、何かに依存しやすい傾向もあります。

そういう自分をありのままに受け止めるのは容易いことではありませんでした。

それでも、ひと昔のように親のことを悪く言うのは非道だと決めつける人ばかりではなくなりつつあり、親の放つ言葉の刃が健全な成長を妨げることも知られるようになりました。

家族神話を謳い賛美する風潮もまだまだですが、若干緩まってきたような気もします。

お母さんのことが好きになれない。

お母さんが怖い。苦手。

お母さんと一緒だと緊張する。自然体でいられない。物分りの良い人を演じてしまう。

そう感じること自体に罪悪感を覚えて、必死に自分の心を封じ込めようと元気はつらつに振舞って、疲れ切ってしまう。

他人に尽くしすぎ、頑張りすぎてしまい、燃え尽きてしまう。

そういう人は、自分はもしかして毒親育ちなのかしら?

と疑ってみてもいいかもしれません。

私は自分の体験をもとに、これから生きる人たちの痛みを知る人でありたいと思っています。

毒親とは心身ともに距離を取ること、これが最善ではないかと。

私も無意識に毒親になっていたであろうことは考えられます。

なので、成人した息子たちとは離れて暮らしていますし、自分に介護が必要になっても頼る気はまったくありません。

私は私自身から息子たちを守らなければならないと律しています。

子育てにも生活にも一切口出ししません。

さいわい、お嫁さんが数か月に一度家族の写メを送ってくれます。

それだけで充分幸せです。

 

自分が毒親かもしれないと思った方は、気づいた瞬間から言動を改めれば、それでいいと思います。

どうか、皆さんに幸福が訪れますように。

では、また!